知ってしまうことによる疲弊について
こんにちは、たろうです。
書籍のレビューブログを作ったのに1冊読むまでの時間が長すぎて全然記事更新できないことに気づいてしまいました。
なので本のレビューだけでなく日々思うことを自分の中で見つめあって言語化してまとめておきたいと思いました。
今回は「知ってしまったことが原因の疲弊について」書いていきたいと思います。
みなさまも「知らなければよかった」と思うことはありませんか?
ぼくは最近よく思います。
僕は生まれて40数年生きていますが、5年前くらいまで意識低い系で毎日を過ごしてきました。
生まれは関西なので小学生のころはひたすら毎日友達とおしゃべり、鬼ごっこして笑って楽しく過ごしてきました。
中学になり名古屋に引っ越してきましたが、学校の成績はオール3より少し低いくらい。部活を楽しみつつ友達と楽しくおしゃべりして過ごす日々のままでした。
高校受験になり少し勉強を意識しましたが担任の先生が部活の顧問の先生だったこともあり、自分の成績ではちょっと足りないくらいの高校の推薦をもらえました。
高校も大学もとにかく意識低いまま、毎日楽しくおしゃべりして笑って過ごす日々は変わりませんでした。
今思い返してもめちゃくちゃ幸せな日々ですね。
大学3年くらいになって「このまま何も考えず過ごしてていいのかな?」と一瞬考えてひと月だけイギリスに語学留学したことがありますが、全然英語しゃべれないまま帰ってきて、それはそれでいい経験になりました。
社会人になり24歳で結婚し、子供も3人恵まれて幸せな日々を送ってました。
もちろんその間も意識高い系のことは一切考えず、毎日笑顔で過ごせばみんなが幸せになれるという考え・信念だけで楽しく過ごしてきました。
それが5年前、アラフォーに差し掛かるころ転機が訪れます。
急に副業をやろうと思い立ったのです。
ブログで稼げるらしいという情報をどっかのネット記事で知りました。
ブログなんて文章書ければいいだけだから楽勝、こんな思いで始めました。
最初はクラウドワークスで1記事700円で書きはじめました。
1週間で10記事書いて7000円、ひと月で28000円ほど稼ぎました。
これはいい小遣い稼ぎになるな、と感じる一方、このままでは一生向こう側の人間になれないな、とも感じました。
ずっと書く作業から抜け出すことができない、時間ばかり取られていく。
これじゃだめだ。
仕事もしてるし家族との時間も大切にしたい。そんな中ブログにばかり時間をとられるわけにいかない。時間労働でお金稼いでも意味がない。
あちら側の人間にならないとダメだ。
そう思いスパッとクラウドワークス辞めました。
理想としては何もしなくてもお金を稼いでくれるシステムができることです。
そのためには自分のブログを立ち上げて、自分が書いた記事にお金を稼いでもらおうと思いました。
で、ワードプレスでブログを立ち上げました。
どんなことを書けばお金が稼げるのかいまいちわかりませんでした。
今まではクラウドワークスで記事のタイトルやテーマを与えられて、それについて文章を書いて納品すればお金がもらえたけど、今度はそうはいきません。
で、手っ取り早くブログで稼ぐためのノウハウを知るためにオンラインサロンに入りました。
これが大当たりで、めちゃくちゃ稼いでる人と出会う場になりました。
今までの平凡な人生では全然会うことができない人たちと実際に会ってみて、自分の今までの何も考えないで楽しむだけの幸せな人生ではお金は稼げないと感じました。
そこからしばらく作業の鬼となり、ブログの記事を書き続けました。
オンラインサロンのつわもの達とも楽しくやり取りし、意識も変わりつつあるのが分かりました。
ブログを立ち上げて2か月ちょっとで134円の収益が出ました。
次の月は580円、その次は880円、そして1000円を超え、10000円を超えました。
ここまで半年くらいです。
たぶん順調に育ってきてたのですが、オンラインサロンのすごい人たちを実際に出会って見てるわけで、そんな中の自分はすごくちっぽけな存在でした。
また、意識高い系のYouTubeも見るようになりました。
ホリエモンさんや岡田斗司夫さん、ほかにもビジネス系のYouTubeは毎日ラジオ感覚で通勤時間に聞いたりしてました。
そうやってだんだん自分の意識が変わっていったんです。
さて、話を戻します。
知ってしまうことにより疲弊してしまうことがある、というのが今回のテーマです。
ぼくは意識高い系の世界をちょびっと知ってしまいました。
ずっと意識低い系のまま毎日笑って楽しく生きてきた自分が、お金を稼ぐために意識高い系のことを考えるようになったのです。
具体的には「行動」です。
毎日寝る前に次の日のタスクをメモ書きします。
そのタスクをきちんと消化しつつ、また寝る前に次の日のタスクをメモ書きする。
そんなことしてた時期があったなあ、と遠い目をしつつ感慨にふけってしまいます。
ブログがある程度育ってくると更新しなくてもお金が稼げるようになります。
時給45円でブログを書いていたのが、ひと月まったく更新しなくても数万円稼いでくれるようになるわけです。
ここでもうひと踏ん張りして記事を書いていればひと月30万くらい(お給料の手取りくらい)稼げるようになり、会社をいつでも辞めれる状態になれたかもしれません。
いや、結構高い確率でそうなったと思います。
しかし実際はそうなりませんでした。
ひと月5万稼げるようになってから、「当初毎月3万円を目標にしてたし、これくらいお金が入ってきたらもう満足」と考えるようになったのです。
一瞬でもそう感じてしまったら、あとはもう早いです。
すべてのやる気が失せてブログを書く作業をまったくやらなくなりました。
今でも全く何もやらなくても毎月3万円くらい入ってきてます。
なので何もやらなくなりました。
何もやらない毎日を送っていると「このままでええのかな」と考えるようになりました。
一度その考えにとらわれるとずっと頭から離れません。
行動しなくていいのか
Twitter垂れ流しで見てるだけでいいのか
YouTube見てるだけでいいのか
アニメ見てるだけでいいのか
こんなことばかり考えます。
さて、果たして今この状態が幸せな状態なのでしょうか。
何も知らなかったら笑ってるだけで楽しく幸せに過ごせたものを、ちょっと意識高い系のことを知ってしまったばかりに寝転がってTwitter見てる自分が嫌になるときがあるのです。
しかも嫌なのにTwitterから離れられないんです。ずっと見ちゃいます。
YouTubeも垂れ流ししちゃいます。
運転中、ご飯作ってる最中、洗濯干してる最中、洗い物してる時、トイレにこもってるときなど、いつでもYouTube見てます。
しかもビジネス系のやつ聞いてたりするんですw
こんなんでいいのかなと思いながらやめられない止まらないを繰り返してます。
まとめます。
知らなければ幸せ、というのは本当である。
知ってしまうと毎日このままでいいのかな、と思ってしまう。
中途半端に知ることで不幸になるくらいなら最初から新しい世界を見ないほうが良い。
とりとめもないですが、以上です!
全然成果が出てないのにやり続ける人、マジ尊敬
こんにちは、たろうです。
今回は「全然成果が出てないのにやり続ける人、マジで尊敬します」です。
本のレビューではありません。
僕個人の考えです。
「継続は力なり」ってよく聞きますよね。
自己啓発本を読めば必ず書いてあることが「継続」です。
実際何やっても成功する人は「成功するまで続けてる」ので成功してるんですね。めちゃくちゃ簡単でわかりやすい話です。
ということは「継続すること=成功する」と言い換えることができるかもしれません(できない)。それくらい継続は大切だということなんです。
しかし「継続する」ということがどれだけ大変で難しいか、そしてそれをきちんと続けている人はどれだけ尊いか、ということがイメージしづらい人も多いのではないでしょうか。
本記事は継続できない私が、継続できる人のすごさについて書いていきたいと思います。
成功者は継続することを何とも思わない
僕の知り合いで月に1000万以上稼ぐ人が3人います。
その人たちに共通するのは「息を吐くように継続する」という点です。
(ほかにも共通点あり)
普通「今やってることって意味あるのかな?」とか思いません?
なんか頑張って行動してるけど全然成果出ないよ、とか、このまま成果出なかったら今までやってきたことがすべて無駄になる、とか、こっちのやり方のほうがコスパがいいんじゃないか、とか、めんどい、とか。
まあ何でもいいけどとにかく自分に言い訳して今やってることをやめようとか思っちゃうと思うんですよ。普通。
実際僕はすぐ自分に言い訳してやめてきました。
結果を出す人って不思議と今やってることを継続するひとばかりなんですよね。
この継続力がすごい。
本人に聞いてみたところ、継続して作業することを何とも思ってませんでした。
全然めんどいとか思ってませんでした。
よくPDCAとかいうじゃないですか。
その人たち曰く、PDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDCAって言ってました。
圧倒的Doだって。
僕なんかはP計画立ててる時が一番楽しくて、サイト設計とか、設定作りとか、とにかく作業する前が一番楽しい。
で、次のDo。このフェーズになるととたんにつまらなくなる。
いろいろ練りに練った計画とか設定が壮大すぎて、「これ全部やるのかよ」、とか自分でこのあとのこと想像してやる気失せて寝る、いつもこれです。
僕はこれを「RPGツクール現象」と名付けています。
みなさんも一度はゲームを作りたいと思ったことありませんか?
僕は中学卒業するくらいまではゲーム作る会社で働きたいと思ってました。
高校のころRPGツクールがスーファミで出たときは歓喜しましたね。
「俺でもゲーム作れるんや!」
そして実際にやってみたとき、「こういうシナリオにしよう!」とか「主人公は16歳でお母さんに起こされるところから始まる」とか「伝説の勇者の子孫」とかどっかで聞いたことあるような設定をノートに書いてめちゃくちゃ楽しい時間でした。
うん、至福のひと時。
そして実際にRPGツクール始めたらどうなったと思います?
村人のセリフ考えるのめんどい。
町のマップ考えるのめんどい。
フィールドマップもめんどい。
敵とか戦闘のこと考えるのめんどい。
とか、めんどいことだらけです。
しまいにゃ考えるのもめんどい。
そしてついに最初の街を作り終えることなくRPGツクールをやり終えました。
(高かったのに、金返せ!)
この経験からわたしはこういった類のことを全部ひっくるめてRPGツクール現象と呼ぶようになったのです。
たぶんスーファミのRPGツクールやった人ならわかってくれると思います。
あれで短くてもいいので最後まで完成させたひとどれくらいいるんですかね?少なくとも僕の周りで完成させた人ひとりもいません。
僕は趣味でガンプラやってたんですが、ガンプラ用のTwitterアカウントも持ってるんです。
そこにもインフルエンサーみたいな人たちがいて、「今日は1mm幅を詰めました」とか「バーニアを金属パーツに置き換えました」とかやってたんですね。
4年ぶりにあの人たちどうしたかなとおもってTwitter開けたんですけど、まだやってるんですよw
同じメンツが「今日はここ塗装しました」とか「完成しました」とかやってるんですよ。
この継続力。
話は長くなりましたが、成功する人はこのめんどい作業を息を吐くようにこなしていくのです。
先のことを考えるよりも、今やることをひたすら1つずつこなしていく。
ひとつずつこなしていった積み重ねが大きなものに育っていく。
成果が出るかどうかを考えるのはそのあと、とにかくこなしていく。
これが継続なんですね。
全く成果が出てないのに継続できる才能
僕の後輩の友達でYouTubeにひたすら投稿してる人がいます。
ゲーム動画をひたすら投稿してます。(何のゲームかよくわからない、建築するゲーム)
登録者は3人です。
100動画以上投稿してますが、全然登録者増えません。
動画を見てみると、無言、ゲーム画面のみ、説明の字幕もなし、しかもマイナーゲーム。
これでもひたすら投稿してます。
「登録者1000人行ったら稼げるようになる」っていってるのでお金稼ぐためにやってるみたいです。
そのひとはブログで稼ぐとかいってそのために14万円の高額塾に入ってノウハウを勉強してました(お察し)。
ブログはあきらめたようですが、YouTube投稿はひたすら続けてます。
全部の動画が同じような動画です。
反応も悪いです。5再生とか。
それでも投稿続けてます。
こんな笑っちゃうような状態ですが、ぼくはこの人のこと尊敬しかないのです。
なぜなら僕が全然できない「継続」ができてるから。
もちろん全く工夫することなく同じこと繰り返してるだけで全然成果出てないですよ。
それを継続といっていいのかわかりません。
いや、でもめげずにずっと繰り返すことも大事です。
いつ花開くかなんて誰にも分りませんよね。
どこかでバズったら過去動画も見られるかもしれないじゃないですか。(・・・)
それに今やってることが無駄になるとも考えられません。
これが僕も継続できる側の人間なら「ただ動画出すだけじゃダメなんじゃない?」とか「声あてたり字幕出してみたら?」とかアドバイスしてもいいと思います。
でも僕は継続できない側の人間。
なのでそんな上から目線のアドバイスはできないのです。
なので継続し続ける人のことをほんとに尊敬してるのです。
ただ最後に少しだけ言いたいのは、たぶんこのままじゃ伸びないだろうなというのが正直なところです。
途中でやめることができないだけ?
継続を考えるとき
「まだ始めたばかりなんだからもう少し同じことやってみよう」
という人がいる一方、
「早いところ損切りして次のやり方に移ってみよう」
という人もいます。
自己啓発系の本やYouTubeみてもいろんなこと言う人がいてどうすりゃいいのか迷うときありますよね。
みなさんはトンネル掘ってるイラスト見たことがありますか?
- もう少し掘ればダイヤが出てくるのにあきらめて引き返す人
- あきらめずに掘り続ける人
がイラストで描かれてるんですけど、ゴールは見えないからどこで掘るのあきらめて引き返せばいいかわからないんですね。
ひょっとしたら自分が掘ってるルートの先にはダイヤはないかもしれないわけです。
あきらめて引き返したほんの少し先にダイヤがあるかもしれない。
ゴールが見えないから全くわからないんですよね。
もうちょっとで成果が出るかもしれない、と引き返すことができないまま一生ゴールにたどり着くことなく終わってしまう可能性がある。
そんなこと考えると僕は手が動かなくなるんです。
ひたすら継続してる人は途中でやめることができなくなってるだけかもしれません。
もう少しでゴールにたどり着くと想像しながら。
それでも僕は尊敬します。
脳死でやってるだけ?
脳死でやることがいかに大事か書きたいと思います。
脳死でやるというのは何も考えずとにかくやる、って意味です。
先のこと考える人ってただ単にやめるための言い訳探してるだけなんですよね。
僕が自分自身のこと振り返ってみると確証に近いものがあります。
例えばジムに行くということ。
仕事終わりでめんどいなとか、YouTube見たいなとか、雨降ってるし寒いなとか、いろいろかんがえてやらない理由を探すんですけど何も考えずにジムに行けばいいんです。
ジムに行くということが大事なんです。
行ってしまえば今日はこのトレーニングしようとか、回数とウエイトはこれくらいでとかフォームはこうでとか考えながらやるじゃないですか。
とにかくジムに行くことが大事。
ブログで稼ごうと思うのならとにかくワードプレスの管理画面を開いて記事を書くってボタンを押せばいいんですよ、で実際に文字を打ち込む。
そうすると文字を打ち込みながらこの文章要らんなとか、もうちょいこれについて書いたほうが良いなとか、ここに画像貼り付けようかなとか、いろいろ考えるんです。
とにかく手を動かすということです。
何も考えずに行動すると、何かを考えて行動することにつながるんです。
間違いないです。
なので何も考えずに言われたことをやるだけの人も尊敬なのです。
そのうちこっちのやり方にしてみようとか工夫すると思います。
たぶん。
まとめ|継続してるすべての皆様を尊敬します
長々と書きましたがここらでまとめます。
- 継続する=成功する
- 今までやったことは無駄にならない(たぶん)
- 継続する皆様を尊敬します
- ぼくは継続できない側のまま枯れていくと思います
簡単にまとめました。
「コネクティング・ザ・ドッズ」
点を続けることでいつか線になる。
とにかく今を大事に、今だけを見て行動してみましょう。
以上たろうでした。
【80歳の壁】レビュー|幸せで楽しい80歳以降の過ごし方
こんにちは、たろうです。
今回は和田秀樹の「80歳の壁」を読み終えましたので、レビューしたいと思います。
本書は幻冬舎新書から刊行されている本で、幸せで楽しく前向きに80歳の壁を越えていくにはどうしたらいいのか、が書かれています。
非常に読みやすく書かれており、サクッと読めてしまいます。
内容としてはどこかで聞いたことあるようなことが多く書かれておりますが、改めて読むことで「自分に自信をもって生きていけばいいんだ!」と感じるのではないでしょうか。
個人的には60歳以降の方が読むとなお一層内容が入ってくるのではないかと思いましたが、僕のように40代前半では「まだまだ先のこと」ととらえてしまうかもしれません。
それでは本書の内容と私が感じたことを書いていきたいと思いますので、是非お付き合いよろしくお願いします。
80歳の壁|内容
Amazonでの本書の紹介文は以下の通り。
人生100年時代だが、健康寿命の平均は男性72歳、女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々、思わず膝を打つヒントが満載。70代とはまるで違って、一つ一つの選択が命に直結する80歳からの人生。ラクして壁を超えて寿命を伸ばす「正解」を教えます! 40、50、60代の老親をもつ世代も必読。
Amazonより引用
なるほど、先ほど40代の僕が読むのは少し早いかもしれないと書きましたが、我々のような老親を持つ世代も必読でした。
うちは両親とも健康で元気に暮らしておりますので思い至りませんでした。
本書は6つのパートに分かれています。
- プロローグ80歳の壁を越えていく
- 第1章医者・薬・病院の壁を越えていく
- 第2章老化の壁を越えていく
- 第3章ボケ・認知症の壁を越えていく
- 第4章高い壁を低くするヒント
- エピローグ人生100年の壁も超えていく
プロローグでは本書で書かれていることがさっとまとめて書いてあります。
プロローグとエビローグだけ立ち読みするだけでもいいかもしれませんw
本書で書かれている要点をまとめるとこうなります。
- 80歳過ぎたら我慢をしない、という生き方
- 80過ぎて健康診断を受けると寿命が縮まる
- 80過ぎたら大概病気を持ってる、治そうとするより共に生きよう
- 食事も興味あることも運転も我慢せずにどんどんやろう
ほかにもたくさん書いてありますが、80歳まで生きてこれたんだからいまさら健康のために我慢しても仕方ない。
むしろ我慢することによって身体が動かなくなり頭も動かなくなってしまい健康を害する原因になってしまいかねない。
というようなことが延々と書かれています。
全部が全部賛同できるわけではない(現在40代なので)ですが、言わんとするところはよくわかります。
きちんと内容を理解したい方、現在介護している方など、もし興味を持たれたら一度本書を手に取って実際に読んでみるといいかもしれません。
80歳の壁を読んで感じたこと
非常に読みやすい本でした。
そして内容がスッと入ってくる、読んだあと一種の爽快感がありました。
というのも特に意識してないけど本書に書かれてることは僕の考えに近いんよなあ、と感じたからです。
といっても全部が全部ではありません。
僕って貯金額(資産)が先月よりも1円でも増えていることに喜びを感じるタイプなんですが、死ぬまでに使い切っちゃうなんてことができるのだろうか?と今からでも思ってます。
資産がたくさんあって使い切れないって意味じゃないですよ?
普通の貧乏サラリーマンですし。
そうじゃなくて、「まだ生き延びちゃうかもしれないのにお金を使い切っちゃう」ということができないんです。
減ることに一種の恐怖を感じるんです。
これはどうしようもないんです。
同僚にも死んでもあの世に持っていけるわけじゃないんだから、と言われますが果たしてそうでしょうか。
死んだときの貯金額があの世で使えるお金に直結しませんか?
僕はあの世でも資本主義社会が続いていると思ってます。
その時の資産額は死んだ時点での資産額になると思ってます。
死ぬ前に使い切っちゃったら死んだ後の世界でえらい目にあうはずです。
僕はたぶん地獄行きなので閻魔様に袖の下を渡さなければ天国に行けません。100万円くらいで済めばいいけど。
それに三途の川を渡るときもお金要るっていうじゃないですか。
その時のためにも貯金を残しておかないといけないんです!(ドヤ)
話がそれました。
本書を読んで思ったのは、今まで通り当たり前に過ごしていることに感謝をして、毎日が幸せと感じながら笑顔で健康に過ごす。
そしてたまにマックやコメダに入ることにワンランク上の充実感を感じつつ、読書をする自分に酔いしれ、意識高い俺どう?みたいなマウントをとる。(誰に?)
楽しめることを楽しむ。
そんな風に今後数十年過ごしていきたいなあと思いました。
まとめ
本書には今後伸びていってしまうであろう平均寿命、自分で動けなくなってから実際に死んでしまうまでの期間がどんどん広がってしまうのですが、それをうまく乗り切るためのヒントがたくさん書いてあります。
だいたい知ってるよという内容ですが、改めて読むことによって意識が変わると思います。
- 我慢をしない
- 思うように生きる
- 毎日を楽しむ
これらを意識して今興味を持っていることにどんどんチャレンジしたいと思います。
それでは、失礼いたします。
【バカと無知】レビュー|なんとなく感じてたことをわかりやすく言語化してくれた本
こんにちは、たろうです。
今回は橘玲(たちばなあきら)の「バカと無知」を読み終えましたので、レビューしたいと思います。
本書はジャンルで言うとエッセイになると思うのですが、わたしは基本的に物語しか読まないので(初めてエッセイを読みました)内容が難しかったです。
エッセイとは「特定の文学的形式を持たず、書き手の随想(思ったこと・感じたこと・考えたこと)を思うがままに書き記した文章のことである。」とのことです。
で、読んでる間ずっと思ってました。
「一体筆者は何が言いたいんだろ?」
何が言いたいのかわからないまま読み進めていましたが、結局何が言いたいのかわからないまま読み終えました。
せっかく本を読むのなら自分の感じたことや思ったことを記録しておきたい。
記録するなら発信したい。
発信するならきちんと理解しておきたい。
と思い何度も読み返しました。(斜め読み)
で、ぼくなりの結論ですがこの本は、
「バカとか自尊心について、我々がなんとなく感じてたことをわかりやすく言語化してくれた本」
なのだと思いました。
わかりやすく、といってますが何度も読まないとわかりませんでした。
以下に本の内容と私が感じたことをできるだけわかりやすく書いていこうと思いますので是非お付き合いよろしくお願いします。
バカと無知|内容
Amazonの本書の紹介文は以下の通り。
正義のウラに潜む快感、善意の名を借りた他人へのマウンティング、差別、偏見、記憶……人間というのは、ものすごくやっかいな存在だ。しかし、希望がないわけではない。一人でも多くの人が人間の本性、すなわち自分の内なる「バカと無知」に気づき、多少なりとも言動に注意を払うようになれば、もう少し生きやすい世の中になるはずだ。科学的知見から、「きれいごと社会」の残酷すぎる真実を解き明かす最新作。
Amazonより引用
なるほど、こういった内容が書いてあったんですね!w
先にこれを読んでから本書を読むべきでした(汗
本書は5つのパートに分かれています。
1.正義は最大の娯楽である
2.バカと無知
3.やっかいな自尊心
4.差別と偏見の迷宮
5.すべての記憶は偽物である
特に全編を通して繰り返し書かれていることがあります。
それは、
人類は進化の歴史の大半で最大150人ほどのコミュニティの中で何万年も暮らしてきた。
集団から放逐されることは死に直結するため共同体から排除されるような行動はしてはならない(目立ってはならない)。
かといって目立たないように集団の最後尾に引っ付いていればいいのかというとそうでもない、それでは目立たな過ぎて子孫を残すことができないのだ(ある程度目立たなくてはいけない)。
です。
この本を読むうえで非常に重要な部分だと思いますので太字にしてみました。
人間の本性は(バカ、自尊心、差別、偏見、記憶など)全部これで説明できる、ってくらい繰り返し出てきます。
で、本書の要点をまとめるとこうなります。
バカは自分がバカであることに気づかない。
バカは自分が平均以上だと過剰評価している。
能力のあるものは自分のことを平均的であると過小評価する。
なのでバカと能力のあるものが話し合いをするとうまくいかない。
うまくいかせるにはバカを排除して話し合いをする必要がある。
バカを含めて話し合うくらいならコイン投げをして決めたほうが良い結果を導き出せる。
脳にとって上方比較は損失、下方比較は報酬である。
これらはすべて
「人類が進化していくうえでほとんどの時間を集団で過ごし、集団から放逐されないように目立ちすぎず、そして子孫を残すために優劣を競いある程度目立ちながら生き抜いてきたことによること」
で説明がつく。
こんなようなことがエビデンス込み?で長々と書いてあります。
めちゃ長いです。
きちんと内容を理解したい方はぜひ本書を手に取って実際にお読みください。
バカと無知を読んで私が感じたこと
読めばわかりますが同じようなことが何度も何度も繰り返し書かれています。
それは私のように一度読んだくらいじゃ読み取れない人のために何度も何度も書いてくれているのだと思います。
ある程度内容に沿って私が感じたことを書いていきたいと思います。
・バカほど自分を過大評価する
・バカは自分がバカであると気づかない、なぜならバカだから
バカでも子孫を残すために優劣をきそわなくてはならず、
少しでも大きく(優秀に)見せなければ役立たずのレッテルを張られてしまい放逐されてしまうので過大評価してしまうのも仕方ないわけです。
それを何万年と繰り返してきたので遺伝子レベルで刷り込まれており、自分のことをバカと気づかず大きく見せてしまうわけです。
これはこの後出てくる自尊心にもつながってる気がします。
出来るだけ自尊心を傷つけず自分を目立たせようとするあまり、自分がバカと気づかず少しでも優秀なところを見せようとしてしまうのかなあと。
ううむ、こんなこと書きながら自分のことが浮かんでくるのが悲しいところ。
思い当たる節しかないです。
バカってほんとバカだよね(笑)、とか思うのも気を付けなければなりませんぞ?
なぜならバカは自分のことがバカだと気づかないわけですから。
バカと話し合いするくらいならコイン投げで決めたほうが良い結果が出るらしいです。
良い結果を出すにはバカを排除して意思決定をしなければならないとのことです。
こういったことを読んでしまうとバカの存在意義って?、と考えちゃいますね。
また、生きていく上で非常にもどかしいトレードオフについても書いてありました。
・目立ちすぎると集団から放逐される
・目立たなすぎると子孫を残すことができない
・よって「目立たず目立つ」という難度の高い戦略をとっている
思い当たる節しかないです。
目立たず目立つためによくとられるのが「噂話」だそうです。
周囲を見渡してみると噂話戦略が得意なやついませんか?
自分は決して目立たずうまく立ち回るやつ。
僕は噂話作戦が下手すぎて困ってます。僕もそれが得意だったらもうちょっと収入や地位も高いところに行ってたのかなと思います。
バカは自分より上位の者を引きずり降ろそうとし、自分より下位の者にマウントをとろうとする。
なぜならバカである自分が子孫を残すためにはその戦略をとるしかないから。
結局本書では、
長い歴史で集団から放逐されないように目立ちすぎず、
しかし子孫を残すためにある程度は目立たなくてはならないという高難度ゲームを制してきたものたちの子孫である私たちは、
こういった人間の嫌な部分を持っていて当たり前なんだよ。
と言いたいのかもしれません。
そしてそれを知っておいたうえで、ではどう行動すればいいのか。
ということは一切かかれていません。
それは読んだ人たちそれぞれで考えてくださいね、と。
本書にはバカについてだけでなく自尊心、差別、偏見、記憶についても書いてあります。
これらについては書くと長くなるので割愛させてもらいます。
(単に理解できてないだけ)
まとめ|読んだうえで次にどのような行動をとるか
さて、本書を読んだうえで今後どのように行動すればいいのでしょうか。
わたしとしては「結局自然体でいるしかないのかなあ」という結論です。
自分がバカなのかどうかわからないわけだし、自分としてはバカだと思ってるし、バカじゃなけりゃサクッと読んで理解できてるはずだし、今まで通り特に変わることなく過ごすことになると思います。
もちろん本書で読んだことは記憶の片隅にとどめておいて、せめて自分がほかの人を引きずり下ろすようなことをしないようにしようと思います。
これが本書を読んだ感想です。
あっさりしすぎかな。
本のレビューをするのは初めてで、とりとめのない文章でうまく伝えたいことが伝わらなかったかと思いますが、引き続き今後も読書とレビューを繰り返していこうと思います。
もしこの記事を読んで本書が気になった方は実際に手に取り読んでみてください。
読む人によって受け取り方は違ってくると思います。
それでは、失礼いたします。
久しぶりにブログを書くことにしました(元ブロガー)
こんにちは、たろうです。
1発目の記事ですので、少し自分のことを語ります。
もともと発信するのが好きで、特にブログを書くことは大好きでした。
(mixyより前からブログやってました)
「せっかくだから好きなブログでお金を稼ごう!」
なんて思ったのが運の尽きで、収益目的のブログを書くのに一生懸命になりすぎてブログを書くことが嫌いに(面倒に)なってしまった成れの果てのおっさんです。
ちなみに収益目的のブログは今でもノーメンテナンスで毎月3万円ほど稼いでくれてます。
そのお金でジムに行ったり本を買ったりできるわけです。
本業はしがない工場勤務のサラリーマンです。
1980年生まれのおっさんです。
読書は大好きで、特に近未来SFやファンタジー系の小説が大好き。
推理小説も大好きです。
----読書遍歴はこちら----
小学5年くらいから赤川次郎の小説をむさぼるように読みだす。
中学くらいから島田荘司の小説(赤川次郎より難しめの推理小説)にハマりだす。
中2のころにライトノベルに出会う。
あかほりさとるのラムネ&40、メイズ爆熱時空、天空戦記シュラトなど読みまくる。
大学生になるくらいに角川スニーカー大賞の冲方丁「黒い季節」を読んでビビる。
大学4年間は新しい作者と出会うことがなかったが、今まで読んできた本を繰り返し毎日毎日読みまくる。
結婚して読書から離れる。
----最近読んだ好きな本はこちら----
こんな感じです。
僕の部屋にはテレビがなかったので、娯楽といえば読書しかありませんでした。
ゲームは高校くらいから徐々に離れていきましたが、もともとドラクエやFFが好きでスクウェアのソフトはかなりやり込んだんじゃないでしょうか。
僕は何度も同じ本を繰り返し読むスタイルで、何度読んでも飽きない物語系の小説が大好きなのでした。
そんな僕も40過ぎて読書するのがめんどくさくなり、ブログ書くのも嫌になり、ゲームしてても頭使うのが嫌になり、すべてのことがめんどくさいと思うようになった何の価値もないただのおっさんと成り下がってしまいました。
このままじゃいけないと思い(いつも思うだけ)2023年になり「月に2冊の読書をする」という目標を立てました。
せっかくなので読んだ本をレビューしがてら自分の考えをまとめて記録していこうと思いますので、もし興味を持ってもらえましたらチャンネル登録と高評価よろしくお願いします。
それでは失礼いたします。