たろうの日々徒然

本のレビューや日々思うこと発信

人が人を評価できない件

こんにちはたろうです。

今回は人が人を評価できない件について書いていきたいと思います。

人は人を評価できません。

それはひとは自分の能力を評価できないからです。

詳しく書いていきましょう。

 

橘玲さんの著書「バカと無知」にはこう書かれています。

「バカは自分がバカであることに気づいていない」

これはダニング・クルーガー効果と言われるものであります。

ダニングとクルーガーは大学の学生を使って実験を行いました。

論理的推論能力では下位4分の1の学生の平均スコアが12点だったにもかかわらず自分たちの能力は68点だと思っていた。

上位4分の1の学生は平均86点のスコアにもかかわらず74点だと思っていた。

下位の者は470%5倍以上過大評価しているのに対し上位の者は14%過小評価していた。

その結果自己評価では68点と74点で近い点数となってしまったのだ。

つまり肌感覚ではほぼ同じ能力を持っていると感じてしまっている。

 

これは論理的推論能力だけでなく文法問題、ユーモアのセンスでも同じような結果となった。

上位の者はなぜ過小評価してしまうかというと、自分がこれくらい回答できるのだからみんな同じようにできるだろうと他社を過大評価することで自分を過小評価してしまっているらしい。

その他いろんな実験から一つの結論が出た。

「バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないことだ」

気になる方、詳しく知りたい方は「バカと無知」を手に取って読んでくれたまえ。

 

さて、ここまででバカは自分がバカであることを知らない、ということが分かりました。

それが今回のお題「人は人を評価できない」にどうつながってくるのでしょうか。

人間とは200万年前の旧石器時代から150人ほどの集団で生きているきわめて社会的な動物であります。

能力の低い者は自分が脳なしだということがばれてしまうと集団から追放されてしまいます。

また能力の高い者がより高い地位に就くことになります。

能力が低いことがばれることは致命的なのです。

集団から追放されるということは生きていくことができないということであります。

そのため能力の低い者は自分を高く見せることに長けるのです。

また能力が高すぎるのも問題です。

高すぎる能力はライバルから危険視されます。

よって危険を避けるために自分を低く見せてしまうのかもしれません。

人とはこんな生き物なのでこれが200万年たった現代でも続いています。

つまり優秀な部下を評価すると自分の地位が危うくなってしまうのです。

 

上司が部下を評価する際にどこを見ているのでしょうか。

わたしも上司という立場なので自分の部下を自分なりの尺度で評価してます。

(ちなみに賞与や昇給査定などしたことはありません。)

自分なりの尺度で評価、これが本人とのギャップを生みます。

結局評価基準というものがブラックボックス化していることが原因なのです。

本人は精いっぱい頑張ってるつもりでも、周りから見るととんでもない方向へ進もうとしてるときありますよね。

また普段からよくコミュニケーションをとる人の評価は上がりがちですし、全然コミュニケーション取れない人のことは下がりがちです。

これって好き嫌いで評価が変わってしまうという恐ろしいことなのですよ。

現代の人事制度は上司が部下を評価します。

とくに古い会社ほどその文化が残っています。

なので高い評価を得ようと思うならば媚びを売ることが大切になってきます。

それもあからさまに媚びを売るわけにはいきません。

周囲の反応を気にしつつ、人事権を持っている方にすり寄り、相手が気が付かないように少しずつ少しずつ媚びを売るのです。

そんな難しいことをしないと評価は得られないのです。

これがこの世の心理。

 

どうでしたか?

人が人を評価できない件について書きました。

途中から話が散らかってしまいました。

ブログを書くのが久しぶりすぎて書きたいことの半分も書けず、とりとめのない内容になってしまったかもしれません。

2024年は定期的に更新していけたらいいなと思ってます。

 

そりでは。

 

 

やりたいことが見つかる

こんにちは、たろうです。

今回はやりたいことが見つかる、をテーマに書いていきたいと思います。

 

前回、人はなぜサボりたがるのかをテーマにブログを書きました。

そこでは
やりたいことが見つからない
人は制約があるときやりたいことができる
現状満足してると寝転がっておわり

 

のようなことを書きました。

実際その通りで、わたしもお金に不自由なく時間も好きなだけとれる現状においてすべてのやる気が失せて廃人のようになってました。

 

 

「ちなみにお金に不自由ないってのは入ってくるお金に対して出ていくお金のほうが少ないことを指します。

私が金持ちになったわけではありません。

毎日100円のカット野菜にシーチキン1缶ぶち込んで炒めるだけの夕ご飯を月から金まで5日間食べてます。」

 

 

しかし2023年8月31日、信長の野望出陣というウォークゲームがリリースされ、ちょっと歴史に興味を持ち始めていたわたしもインストールしてみました。

 

そしてドハマリしました。

 

オート放置して歩いてるだけでいろんな素材がゲットできるんです。

そして歩くとそこが領地になるんでどんどん領地を広げていくという楽しみもあるんです。

それが楽しくてひたすら歩いてます。

 

 

毎日歩いてるとどうでしょう、なんといろんなやる気に満ち溢れてくるんです。

身体は健康になるしやる気も出るし、やる気がでるからさらにやるしの好循環。

 

 

やる気出すぎて土日にちかくのお城をめぐってきました。

 

そんなことしだすと、次はもっと効率よく城をめぐりたいなとか、どこのお城に行こうかなとか、スタンプ集めたいなとか、お城にまつわることを勉強したいなとか、いろんな思いがどんどん出てきます。

 

とりあえず折り畳み自転車買って車に積んでいこうと思い、現在準備中です。

ほかにも100名城スタンプってのがあって、全国に認定されてる100名城のスタンプラリーもしたくなったので台紙を購入しました。

ゲーム中に出てくる武将の名前と生い立ちのようなものも読んだりして勉強してます。

 

そうなると時間が無くなる。

つい最近まで時間が余って仕方なかったのに急に時間が無くなってしまう不思議。

 

やることが増えるとそうなる仕組みなんですねえ。

時間が足りないって言ってる人は幸せですよ!

有り余る時間はほんとに虚無ですからね。

時間があったらあれもしたいこれもしたいって言ってるうちがいいんです。

 

私もいよいよ虚無期間から抜け出すことができたので足りない時間を楽しみたいと思います。

ひと月後半年後にどうなってるかはわかりません。

そんなことにハマってたなあとか言ってるかもw

 

なので楽しいうちにいろいろ試行錯誤してどんどん楽しんでいきたいと思います。

 

ではまた。

ヒトはサボりたがるのはなぜか

こんにちは、たろうです。

今回はヒトはサボりたがる、をテーマに書いていきます。

 

ヒトはサボりたがります。

楽な方へ楽な方へ行きます。

1人でいると寝転んでるだけで1日が終わります。

行動する気が失せてきます。

ゲームも楽しくないです、テレビ(YouTube)も楽しくない、読書もめんどくさい。

どんどん何もやらなくなります。

ご飯も作らなくなります。

お風呂も入らなくなります、でも気持ち悪いから翌日入ります。

すみませんネガティブなことばかり書いて。

でも一人暮らしで自由な時間が多いとこうなっていきます。

 

さてこんな廃人みたいな生活から抜け出すにはどうしたらいいでしょう。

それは月並みですが、ほんの少し、何でもいいのでやってみることです。

例えば将来金持ちになったら何がしたいかをメモする、洗い物する、掃除をする、散歩する、本屋で立ち読みする、喫茶店に行く、公園のベンチに座る、ドライブする、、、何でもいいです。

少しでも動き出すとその次何がしたいかどんどん湧いてきます。そうなるとほっといても次から次にやりたい事が浮かんでくるんです。

一つでもやりたい事が見つかるとさらに時間を取られます。時間がなくなるとなぜか他にやりたい事が出てきます。これがめんどくさい奴の正体なんですが、時間ぎないとやりたくなるんです。

気合いを入れて腰を浮かすことから始めればどんどん好転していきます。

 

それが分かっててもやれないのが今のわたしです。

正直ここまでのことは生まれてから今まで経験してこなかった。

常になにか制約があり、縛りがあったため色んなアイデアが浮かんできたし実現するために行動してきた。

私を制約してきたのはお金と時間。

ほとんどの人がお金と時間かな、私だけじゃないですね。

特に子供の頃からずっとお金の制約がかかってた。決して貧乏だったわけじゃないですよ?わたしの父はエリートを絵に描いたような人で生活に不自由したことはありません。

お小遣いが少なめだったのと何か買ってもらうことも少なかったことからきてるのかな。

おかげでわたしの金銭感覚は非常にマトモだと思ってます。

また若くして結婚したので大人になってからのお小遣いの方が苦労してました。

しかし子供達も大きくなり、自由にできるお金が増え、単身赴任で時間もたんまりある、仕事は18時には終わってる、こんな恵まれた環境ってあるだろうか。生まれてから今まで経験したことのない自由が今あります。

そうなると何故か全てのやる気が失せました

(ーー;)

 

これは一種のゲームクリアということなんでしょうか。

思い描いてたような自由にできる時間とお金を手にしたことによって終わってしまったのでしょうか。

一方、このままではやばいと思ってる自分もいます。

なにか行動しないとどんどんダメになると思ってます。理想の暮らしとはこんなことだったのか。

答えがわからないまま毎日過ごしてます。

今日はここまで。

 

悩める43才

こんにちは、たろうです。

今回は悩める43才と題してわたしが悩んでることを書いていきます。

こう言った悩みはもっと若い頃にされてるかもしれませんし、これから同じような悩みを抱えるかもしれません。もちろん一生悩まない方もいるかもしれません。

 

少し前にTwitterにおすすめが出来ましたよね、どういったアルゴリズムなのか分かりませんがフォローしてる人以外のツイートで話題になってるものが表示されます。

はじめは鬱陶しいだけのおすすめだったのですが、最近ではTikTokの短い動画にコメントをつけた滝沢ガレソさんなどのツイートが表示されるようになりました。

こういったツイートに全く興味なかったのに最近なぜかショート動画を見るようになりました。

そしたら何ということでしょう。滝沢ガレソさんのようなアカウントがいくつも表示されるようになり、いろんなショート動画がバンバン出てくるようになりました。

見てて面白いものや面白くないものいろいろ入り混じってますがひたすら見てしまいます。

気づいたら1時間以上経ってたり、お風呂入るのも面倒くさくなったりと見ることによる弊害も出始めました。

そこでふと気づいてしまったのです。

 

こんなにショート動画見てしまうのは自分の頭の中で見たいと思ったから。そしてその動画は面白いものもたくさんある。しかし終わってみるとなんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろうと自己嫌悪に陥る。なのに次の日も同じことを繰り返す。

 

お分かりでしょうか、見たいと思って見たにも関わらず自己嫌悪に陥るという悪循環。しかもその動画がつまらなかったからではなく面白かったという事実。

映画が見たくて見に行ったけど思ってたのと違ってつまらなかったから無駄な時間を過ごした、なら分かります。

期待通りの動画だったにも関わらず無駄な時間を過ごしてしまったという変なことになってしまってるのです。

 

以前のわたしは笑顔であれば幸せ、自分も相手も笑っていればオールオッケー👌という考えだったので全く悩んだことがありませんでした。

常に幸せ、毎日幸せ、どんな状況におちいっても何故か幸せ😀こんな感じでした。

これがいつからなんでしょうか、少しだけ頭が良くなりたいと思った頃からでしょうか。こんな悩みを抱えるようになりました。

 

映画を見ても派手なアクションシーンを見てスゲーって言って満足してたのが、岡田斗司夫の映画の裏にはこんなメッセージが隠れてる、みたいな考察を見るようになったころから単純に派手なアクションで喜んでるようじゃカッコ悪いな、とか思った頃からでしょうか。

たぶんそのへんからでしょう。

 

悩める43才、このことを考えたところひとつの答えに辿り着きました。

ここで大事なことは身の程を知る、ということかと思います。

所詮わたしは映画の考察もゲームのストーリーの考察もワンピースの伏線の考察も出来るはずがないんです。

考えて読んだり見たりしてるわけじゃないので。

なのでそういった考察は誰かに任せて単純に楽しめばいいんですよね。

で、そういった考察のコメント欄に参加したりして一緒に楽しんでれば良いんですよ。

考察できる人カッケー、って思ってればいいのに自分も背伸びして(しかし特に行動せず)同じステージに立ちたいとか思ってるんじゃダメなんです。

人生は楽しんだもの勝ちです。

悩むことも大切だけど自分ができることできない事をきちんと見極めないといけない。

 

今回のことで言うと滝沢ガレソのツイートみて楽しんだのならそれはそれでオッケー。

無駄な時間過ごしたと思ったのならそれもそれでオッケー。

つまり悩む必要は全くなかったと言うことです。悩んだらハゲますしね。

 

ずっと家族と一緒に暮らしてきて急に一人暮らしになってから丸3年経ちました。

最初の1年は無我夢中に過ごし、2年目は慣れてきたので時間ができ、3年目は時間が出来すぎたために無駄に考えたり悩んだりしました。

4年目の現在は好きなことして楽しい毎日を過ごしていきたいと思います。

毎週末は子供らが泊まりに来てゲーム三昧、笑顔で溢れてるのでその時間を大切にしていきます。

 

最後は取り留めもない感じですが悩める43才たろうでした。

将来の夢

こんにちは、たろうです。

今回は将来の夢について書きたいと思います。

管理画面見てブログ毎日チャレンジやってたの思い出しました。チャレンジ終了ということでお願いします。

 

将来の夢(2023年5月現在)です。

思いつきで書いてます、どうせすぐ変わります。

 

図書館の近くに1人で住みたい

読書に適した部屋にしたい

雑誌を参考におしゃれな部屋にしたい

毎日程よく運動したい

宇宙について人に説明出来るくらいに知りたい

量子力学について人に説明出来るくらいに知りたい

何かしらクリエイティブなことがしたい

程よく子供たちと思い出作りたい

たまに景色のいいとこ行きたい

セフレほしい(独身になってる前提)

少しでも行動する自分が復活

興味あることに躊躇なくお金使いたい

お金使うことに罪悪感を感じないようになりたい

好きなタイミングでおしゃべりできる友達欲しい

常にほんのちょっとマウントとってたい

もうちょいゲームクリアしたい

ゲームシナリオ書いてみたい

シナリオの設定作りたい

アルバイトくらいの仕事したい

日本全国の県で1泊したい

 

書いたらキリがないけど、全部今すぐ叶えること出来そうなのよね。

以上、たろうの将来の夢についてでした。

 

【3日目】フェルマーの最終定理について

こんにちは、たろうです。今回はフェルマーの最終定理という本について書いていこうと思います。

 

実はまだ20%ほどしか読めてません。

サクッと解説すると300年前にフェルマーという人が作った定理を誰も証明することができないまま今日に至っていた。

フェルマー自身の証明もどこにも残っていない。

そんな中に有名な「証明出来るがそのためにはメモの余白が少なすぎた」というメモがあるそうです。

 

もともとピタゴラスの定理という、超有名な定理からきています。

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この定理の2乗のところ、ここが3以上の自然数ならば成り立たない、という事です。

これを誰も証明することが出来なかったんですねえ。

で、1993年に証明できたというお話です。

そのときの証明には欠陥があり、1995年に完全な形で証明されました。

その証明した人を中心にフェルマーの最終定理に挑んできた数学者たちの熱いお話が書いてあります。

 

まだ20%しか読んで無い私ですがきちんと読了したいと思ってます。

最近読書熱がぐーんと下がっていたためゲームばかりしていましたが、まだ読書復活です。

でも頑張りすぎず少しづつ読み進めるくらいで行こうと思ってます。

 

数学は宇宙に繋がるのでロマンがありますね!

たろうでした。

 

【2日目】すでに毎日更新出来なかった

こんにちは、たろうです。

毎日更新できませんでした。

久しぶりに体調崩しちゃいました。ここ最近仕事もいつもと違うことしてたので相当疲れ溜まってたみたいです。

まあ過ぎてしまったことは仕方ない。

今回は日記的なことを書きます。

 

わたし単身赴任してもうすぐ丸3年なんですが、ほぼ毎週子供がうちに来てます。

2年くらい私が家に戻ったり上の娘たちもこちらに来たりしてたけど、ここ1年は下の息子くんだけうちに来てます。

天気が良ければお出かけしてたのが、最近はひたすらスイッチやってるだけになりました。

部屋はかなりまとまっていて、全てのものが効率よく触れるように配置されてます。

息子くんも秘密基地っぽいたまり場っぽい雰囲気を好きでいてくれてるようです。

将来1人暮らしする場合こんな感じにしたいって言ってくれてます。

(凄い怖がりなので一人暮らし無理っぽいですが)

 

真冬はあまり外に出ませんが、春から秋の3シーズンは目の前の公園に遊びに行きます。

今日も公園の遊具で遊んだらキャッチボールしたりしました。

30分くらいですが、この時間がなんとも言えず良い時間なんです。

この時間のために1週間頑張ってるようなもんです、はい。

 

息子くんは将来YouTubeやりたいらしく、しかもゲーム実況がしたいみたいで、1本で良いから動画投稿して、って言ってきます。

なので私もYouTubeデビューするかもです。

するとしたら子供らも見るだろうから、当たり障りのないゲーム実況するくらいしか思いつかないです。

そんなにやりこんだゲームも無いので、Steamのレトロゲーをライブでやったりするのがいいのかな。機材も買わなくて済みそうだし。

ブログも続かないからYouTubeも厳しいと思うけど、やった事あると無いとでは全然経験値が違うのでちょいとやってみるかもです。

 

では体調が万全で無いので今日はここまで。

たろうでした。